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B'z(ビーズ)は、松本孝弘稲葉浩志の2人で構成される日本の音楽ユニット[1][2]。所属レコード会社はビーインググループのBeing、レーベルはVERMILLION RECORDS。公式ファンクラブは「B'z Party」である。

Bz1.jpg

メンバー 編集

人名 パート(ライブ) パート(レコーディング)
松本孝弘
(まつもと たかひろ)
ギター ギター
作曲
編曲
音楽プロデューサー
稲葉浩志
(いなば こうし)
ボーカル ボーカル
作詞
編曲

サポートメンバー 編集

人名 パート(ライブ) パート(レコーディング) 在籍期間(ライブのみ)
増田隆宣 キーボード オルガン
キーボード(以前)
1992年 - 1997年
1999年 -
シェーン・ガラース(Shane Gaalaas) ドラム ドラム
パーカッション
2002年 -
バリー・スパークス(Barry Sparks) ベース ベース 2003年
2008年 -
大賀好修 ギター
コーラス
2011年-

元サポートメンバー 編集

人名 パート 在籍期間(ライブのみ)
明石昌夫 ベース
マニピュレート
1989年 - 1997年
満園庄太郎
ビリー・シーン(Billy Sheehan)
ベース 1999年 - 2001年
2002年
阿部薫
田中一光
デニー・フォンハイザー(Denny Fongheiser)
黒瀬蛙一
ドラム 1989年 - 1990年
1990年 - 1994年
1995年 - 1997年
1998年 - 2001年
広本葉子
大島康祐
キーボード 1989年 - 1992年
1998年
高原裕枝
中村優子
コーラス 1992年
澤野博敬
澤田秀浩
トランペット 1993年
野村裕幸 トロンボーン 1993年
吉田じゅんべい サクソフォーン 1993年
徳永暁人(from doa ベース
コーラス
編曲
1998年
2003年 - 2007年
大田紳一郎(from doa) ボーカル
ギター
コーラス
2003年 - 2008年

その他サポートメンバー 編集

人名 パート 在籍期間
山口昌人 ドラム テレビ出演時(シェーンが来日していない時のみ)
$pyke(Hazuki Kido) ベース テレビ出演時(「SUPER LOVE SONG」の演奏など)
GO (from SUNSOWL) ドラム テレビ出演時(2007年 - )

来歴 編集

結成前〜デビュー 編集

1987年、音楽制作会社ビーイングに所属し、浜田麻里TM NETWORKなどのツアーサポートスタジオ・ミュージシャンとして活動していた[1]ギタリストの松本が、「自らの音楽を表現できるバンドを創る」という構想のもと、バンド結成へ向けた活動を開始。その間、あるボーカリストとバンドを組むことを音楽雑誌で公表したが、そのボーカリストとデビューすることはなかった[3]

1988年5月、ボーカリストを探していた松本は、ビーイングの社長で音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープは当時Being音楽振興会(現在のBeing Music School)に所属していた稲葉が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた[4]。長戸はB'z結成の2、3年前から「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」と事あるごとに言い続けていたという[5]。こうして長戸を介して、2人は会う約束を交わす。しかし、この時点で松本は、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」「後は『いい人』であってくれと願っていた」と語っている[6]

翌日、「SOUND JOKER」という小さなスタジオで初顔合わせした2人は軽く会話を交わした後、ビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」の2曲をセッションする[4][7]。しかし、機材の故障により結局その日は2曲しかセッションが出来ず、その場はお開きとなった。後日再び会った時には、何故か既にデビューへ向けての活動が始まっていたという[4]。その後2人はユニットB'zを結成、1988年9月21日シングルだからその手を離して」、アルバムB'z』の同時リリースでデビューした。

2人が初めて出会ってB'z結成・楽曲制作・デビューに至るまでは、約4ヶ月という短い期間であった。B'z結成時はお互い(特に稲葉)の合意が形成されないままデビューへの話が進んだらしく、稲葉は結成当時について「振り返ってみれば、これまで松本さんから『一緒にバンドをやろう!』とはっきり口にして言われたことは一度もない」とインタビューやライブMCで語っている[8][9]。ただし1993年に敢行されたライブツアー『LIVE-GYM '93 "RUN"』でのMCでこのエピソードが語られたときは、「そういえば言っていないな」ということで、稲葉が冗談めかしながら「一緒にやろう!」と言ったこともある。

結成当時の音楽業界では、「新人はアルバムを3枚リリースするまでにヒット作品を作れなければ見切りをつけられる」という風習があった。そのため、松本はデビュー時から明確なビジョンを持って制作に当たっており、稲葉と初対面した際に「3年以内に(当時一番売れていた音楽雑誌である)『Gb』の表紙を飾る」「3年以内に『オリコン』の(1位〜50位までが掲載されている)左ページに載る」といった「三ヵ年計画」を力説していたという[9][10]

初期のB'zのプロデューサーは中島正雄である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザーという肩書きで指揮していた。

結成後〜現在 編集

デビュー当時はTM NETWORKのツアーで訪れる各地でキャンペーンを行うなど、地道な活動を続けていた[1]。キャンペーンについては、ヤマハの楽器店等で「松本によるギターセミナー」と称して開催されたものの、来場者は若い女性が多く、実際はセミナーを早めに切り上げて後半をB'zのお披露目コンサートの時間に当てる、といったものだった[9]。メンバーは「(多くのファンと)握手しすぎて手から指紋が消えた」「(お辞儀のしすぎで)一日が終わると体が"くの字"から戻らない」などと語ったことがあり、キャンペーンや挨拶回りはかなりのハードスケジュールだった[8]

デビューアルバム「B'z」は、発売当初はオリコンチャート初登場48位[11]で、100位以内には4週ランクインしたのみであり、セカンド・アルバム「OFF THE LOCK」までは苦戦が続いたが、1989年にリリースしたミニアルバムBAD COMMUNICATION」に収録された同名の曲が、タイアップの効果もあり有線で注目され始め、オリコンチャート10位以内には入らなかったものの163週ランクインするロングヒットを記録した。1990年リリースの4thシングル「BE THERE」がシングルチャート初登場7位となり、そして同年リリースの5thシングル「太陽のKomachi Angel」が初のオリコンチャート1位を記録した[8]

現在にかけて、シングル連続初登場首位獲得数やアーティスト・トータル・セールスを始めとする日本音楽界における数多くの記録を樹立し(詳細は後述)、『日本が誇るロックユニット』と呼ばれるまでの人気を博した[2]2007年にはロックンロール・音楽界に貢献したアーティストを讃える「ハリウッド・ロックウォーク」への殿堂入りを果たした(後述)。2013年9月21日にはデビュー25年となり、現在に至るまでコンスタントな作品のリリースやライブ活動を継続している。

概要 編集

ユニット名 編集

アクセントの位置 編集

ユニット名である「ビーズ」は、世間的には抑揚をつけない平板な読み方(例えば「リール」「レール」に近い読み方)が主流であるが、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)でメンバーが語ったところによると、正しい読み方は先頭にアクセントを置いたものであるとされる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント。以降は正式な読み方を便宜上「ィズ」と表記する)。また『NHKスペシャル』(NHK)においてB'zを特集した際、NHKは先頭にアクセントを置いた読み方を採用している。これについてNHK側は「ご本人たちもファンも関係者もみんな(「ビ」にアクセントを置いて)『ィズ』とよんでいます」と回答した。

平板な発音の方が一般に定着した理由についてNHK放送文化研究所は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」という前提を置いた上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのでは」という見解を語っている[12]

なおメンバーは「自分達はィズと呼んでますが、どちらでも呼びやすいように呼んで下さい。」と発言している[13]。 B`z The 7th Bluesに収録されている「LOVE IS DEAD」の最初の電話の会話部分を聞くと、「ビ」の部分にアクセントを置いて発音している。

ユニット名の由来 編集

ユニット名の由来については、メンバーはインタビューなどで「深い意味はない」と前置きしているものの、以下の由来を語っている。

ユニット名の条件として「現代的な記号のようなものがいい」というものがあり、企業のロゴのように意匠化しやすい名称が求められていた[14][15]。最初のユニット名の候補として挙げられたのは、「A to Z」「A〜Zのすべてをカバーする」という意味を込めて、『A'z(アズ)』であった[16][10][17]。ところが、「A'z≒エイズ(AIDS)」と読まれる可能性があることに気付いたため、「"A"の次は"B"だろう」ということで『B'z』とした。その後、「B」から始まる名前のバンドは、非常に力強いバンド(「ビートルズ等)が多いことが分かり、また「『B'z』だと憶えやすそう」という意見もあり、現在の名前となった[16][10][17]

上記の由来は、主に2000年代以降に語られたものである。それ以前のインタビューでは由来についてのメンバーの発言にばらつきがあり、一貫性のあるものではなかった。そのことについて、松本は2012年のインタビューで「昔は適当に答えていた」と語っている[17]。以下に、由来についてのメンバーの過去の発言を記載する。

  • 松本がパーソナリティを務めたTOKYO FMBEAT ZONE』の中でゲスト出演の稲葉が「『蜂の群れ(Beeの複数形)』でB'z」との発言をした(1995年頃は17thシングル「love me, I love you」やLIVE-GYMで使うロゴマークに蜂の腹部を模したものを使用していた)。
  • 1989年の会報で松本は、「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった」と語っている[18]
  • 「バンド名は現代的な記号のようなものがいい」というイメージの中で、最初に浮かんでいたのが「とにかく『Z』を使いたい」というということで、それに付随するスペルとして男性的なニュアンスのある『B』が良いと思い付いて、この2つの文字をジョイントして『B'z』になった[15]
  • 「ギターのエース」と「ボーカルのエース」のジョイントということで『A』を使うと言う話になって、そこに松本の気に入っている『Z』を付けて『A'z』という案があったが、発音しにくいので最終的に『B'z』に落ち着いた[8][15]
  • 2012年のインタビューで、松本は結成当時を振り返り「昔は『ビートルズBと、レッド・ツェッペリンz』って答えたこともある」と語っている[17]

2人組になった経緯 編集

B'z結成当時、日本の音楽シーンが「バンドブーム」を迎えていた中、B'zは当時としては異色であった2人組のユニットという形式でデビューした。松本はこのことについて「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と語っている[19]。しかし松本は、当初ベースやドラム担当を含めた4人くらいのバンドを考えており、実際に何人かに当たってみることはしていたという[19]。当時を振り返り松本は「最初のうちは(ドラムやベース担当といった)他のメンバーも探すつもりだったが、(稲葉と)2人でデモテープを作っているうちに「2人でもいい」と思うようになり、2人でいこうということになった」[6]「バンドって4〜5人いても、重要なものを飾るのは2人くらいでしょ? だったら2人がいいかなって思った。(中略)僕のギターと気に入ったボーカルさえあれば、後はサポートメンバーを入れればいいだけの話。稲葉と2人でやっていこうと思った。」[19]と語っている。2人組ではあるがリーダーは松本が務めている。

ファン 編集

ファンクラブ 「B'z Party」の加入者数は延べ人数で58万人を超える[20](休眠会員含む)。50ページを超えるほどの会報が年に4回ほど発行される。この会報においては、メンバーへのインタビューが内容の約3割を占めている。

音楽活動 編集

音楽方向性 編集

初期の作品はギターサウンドを抑え打ち込みを前面に出したTM NETWORKに近いデジタルサウンドであった。これについて松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」「TMから始まったものが今の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と語っていたり[21]、メンバーは「デジタルでは絶対に音が作れないギターボーカルを、デジタルビートと融合させる、というコンセプトで活動している」とも発言していた[4]。松本はライブやレコーディングにTMNのサポートメンバー時代の仲間である阿部薫久保こーじを招いていた[22]

ブレイク以降は様々にスタイルを変え、デジタルビートから、ダンス、生の管楽器弦楽器を導入したアレンジや、4ピースバンドロックなどという風に時代ごとに特徴がある。11thシングル「ZERO」や14thシングル「Don't Leave Me」の頃からロックサウンドへの移行が顕著になって行き、同時に打ち込み音を使用する割合は徐々に減少傾向になる。近年の楽曲は、ライブ感を重視したものとなっている[1]

マーティ・フリードマンはB'zの曲風について、B'zとアメリカのロックバンド・エアロスミスとを比較し、「B'zはエアロよりも現代的な音であり、東洋的なメロディーや繊細なアレンジなどはエアロには無理である。またエアロはブルースが基本であるが、B'zは日本的な歌謡曲の作り方である。」と評している[23]

楽曲製作 編集

作詞・作曲
全ての楽曲の作曲を松本、作詞を稲葉が担当している。ただし、お互いがお互いの作業に全く口を出さないわけではなく、相手の作業に関してアイデアがあるときは提案をする。松本は楽曲のイメージを稲葉に伝えて歌詞のテーマをリクエストしたり、稲葉は歌い難い箇所があれば松本にメロディの変更をリクエストしたりする[24]。稲葉によると「その時々によって作業の境界線は曖昧」とのこと[17]
B'zのほとんどの楽曲は松本の曲が先に作られ、その曲に稲葉が詞をつけるという、音楽用語で言う『曲先』で作られている[8]。楽曲制作の始まりは、松本が「最初はメロディとコード」と語ってるように、松本が口ずさむメロディとギターの伴奏のみの楽曲を作成する。その楽曲をテープなどに収録したり、実際に演奏したりして稲葉に聞かせる。メロディを覚えた稲葉は、そのメロディに適当に仮の歌詞を割り振り、仮歌を収録する。その後にアレンジを始め、それと同時に稲葉は本歌詞を作成する[25]
2ndアルバム以降は全ての楽曲の作詞・作曲はメンバーが担当しているが、1stアルバム『B'z』収録の「Nothing to Change」のみ作詞は亜蘭知子が、また同アルバム収録の「孤独にDance in vain」のみ作曲は大槻啓之が担当した。松本曰く、「当時はあれが限界だった」と語っている[26]
編曲(アレンジ)
編曲(アレンジ)は、1995年までは松本と明石昌夫が主に担当していた。1995年リリースの16thシングル「ねがい」以降からは稲葉も編曲に参加している。また、同年にB+U+Mを解散して以降は、松本と稲葉の他に多くのアレンジャーが編曲を担当している。
レコーディングやアレンジのときには、メンバーはもちろんのこと、他のサポートメンバー、ディレクター、ステージングのエンジニアなどもアレンジのためをアイデアを持ち寄ることがあるという。その際にメンバーはそのアイデアを口頭で否定することはなく、まずそれらを"一度試してみて"、最後に一番良いものを完成形として採用するという方法がとられる[8][24]
レコーディング
レコーディングはメンバーそれぞれが別々に行うことが多い。松本がギターのレコーディングを済ませるまで稲葉はスタジオには入らず、松本のレコーディングが一段落して初めて稲葉がボーカルのレコーディングに入る。これについて稲葉は「出来上がった松本のギター演奏を"初めて耳にした瞬間"のフィーリングを念頭においてレコーディングに入りたい」「メロディを何度も耳にしてるとどこが良くてどこが悪いのか段々判らなくなってくる。だから松本さんの完パケ(完全パッケージ)を一度だけ耳にして、次の瞬間自分のボーカルの世界へ没頭したい。」と語っている[8]
松本のギターソロのパートは、曲を流しながらアドリブでギターを弾いたものを録音し、それを聴き直して納得が行ったものを完成形とするという方法がとられている[24]

リリース 編集

コンスタントに作品をリリースしており、メンバーそれぞれソロ活動がメインだったためCD自体がリリースされなかった2010年を除き、デビューした1988年から2009年までシングルは毎年リリースされている。特に1988年リリースの1stシングル「だからその手を離して」から2008年リリースの45thシングル「BURN -フメツノフェイス-」までの約20年間、シングルのリリース間隔が1年以上開いたことはなかった。

また、ほぼ1年半に1作のペースでスタジオアルバムをリリースしている(最長でも8th『LOOSE』から9th『SURVIVE』までの2年)。スタジオアルバムのほかにベストアルバムミニアルバムなどもリリースしている。

映像作品として、ライブツアー終了後そのライブ映像を収録したものがVHSDVDBlu-ray Discでリリースされている。その他、ミュージックビデオ集と、アルバム製作過程を収めたドキュメンタリー作品がそれぞれ1本ずつリリースされている。

主要記事: B'zの作品

LIVE-GYM 編集

ライブツアータイトルは、一貫して『LIVE-GYM』と銘打っている。

主要記事: LIVE-GYM

2nd beat 編集

シングルCDにおける2曲目以降の楽曲をB'zのメンバーは「カップリング」「c/w」などとは呼称せず、シングルの1曲目を1st beat(ファースト・ビート)、2曲目を2nd beat(セカンド・ビート)と呼んでいる。31stシングル『ultra soul』以降は3曲以上収録されているシングルも発売されており、その場合は3曲目以降を順に3rd beat(サード・ビート)、4th beat、5th beatとしている。

両A面シングルの2曲目にもこの表記は用いられている。両A面シングルや3rd beat収録のシングルが存在するため一概には言えないが、基本的に「2nd beat」=「B'zのシングルのカップリング曲」と認識されている。

実際には、「2nd beat」という表記が用いられ始めたのは4thシングル『BE THERE』からである。なお、作品によっては「2nd Beat」と表記されているものもある。

2000年以降はLIVE-GYMやSHOWCASEで演奏されない場合が多く、客出しに使用された未発表曲が収録されることも多い。

アルバムにも収録されていない2nd beatの曲が人気となったり、タイアップがついたりする事がある。2nd beatは、オリジナル・アルバムには収録されることは少ないが、ベスト・アルバムやマスト・アルバムに収録されている曲も少なくなく、また、4thシングル『BE THERE』から13thシングル『裸足の女神』までの10枚はマキシシングル化され再発された為、入手はさほど困難ではなくなっている。

B+U+M 編集

1990年から1994年まで、B'zメンバーを中心とした音楽製作集団『B+U+M』を結成していた。名称の由来は「B'z Unreal Music」の略である。

ギタリストである松本とボーカリストである稲葉の2人で構成されるB'zが、「自分たちのみでは実現できない音楽を実現する」という目的で結成した集団で、主にB'zの楽曲の編曲やサポートメンバーとしての楽曲演奏などといった活動を行った。1990年5月25日発売のシングル『BE THERE』からクレジットされた。その後、「B'zは2人である」という意義を再確認するため、1994年11月21日発売のシングル『MOTEL』を最後に解散した。

1990年2月21日発売のB'zの3rdアルバム『BREAK THROUGH』には、『B.U.M』という楽曲が収録されている。曲中で「We're B'z & Funky Crew」という、B+U+Mを示唆した歌詞が現われている。

メンバーは以下の通りである。

人名 パート 備考
松本孝弘 ギター
稲葉浩志 ボーカル
明石昌夫 ベース
マニピュレート
ベースは1992年10月7日ZERO』以降から。
野村昌之 レコーディングエンジニア
寺島良一 ボイスディレクション
田中一光 ドラムス 1992年10月7日ZERO』から1993年3月17日愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』まで。
畠山勝紀 ギターテクニシャン 1992年10月7日ZERO』以降。

また、B.U.Mはメンバー自身が取締役も務めていた自身の所属事務所の名前であった。1990年頃に創設され、1995年に彼らのプライベートレーベルに『VERMILLION』を使用し2001年に所属事務所も同名に改名、さらに2002年にレーベル名を『VERMILLION RECORDS』に改称した。

またB'z結成12周年の際に、B'z初のオフィシャルブック『B'z TWELVE』が発行されたが、その本の著者は「B'z Unreal Music」名義となっている。実際の内容は、B'zメンバーの過去の発言をまとめた語録集、及びメンバーと関わってきた音楽ライターカメラマンプロデューサーらによる寄稿であり、上記のB+U+Mメンバーとは関係はない[27]

評価 編集

なぜ売れるのか 編集

音楽評論家の大貫憲章は、R25の取材に対して、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、ハードロックサウンドとシャウト、稲葉浩志の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか、としている[2]。また、音楽プロデューサーの亀田誠治は、B'zの曲がヒットする要因を、ヒット曲に必要な条件である「アーティストパワー」「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えている「勝ち組安定型」と定義した[28]。継続して売れ続けていることがCDショップで積極的に売り出されることにつながり、そのことがまた売り上げにつながっているとした。この傾向はMr.Childrenサザンオールスターズスピッツも同様であるとしている。

NHKスペシャルNHK2008年10月7日放送回において、「B'zが売れる秘密を知るため」としてB'zの密着取材を行ったドキュメンタリー『メガヒットの秘密 -20年目のB'z-』が放送された。その番組内でメンバー本人に「B'zはなぜ売れるんですか?」と質問したところ、松本は「感覚かな、野性の勘ですよね。『これはイケる!』っていう…。」と答え、稲葉は「とにかく『手を抜いてない姿を見せる』というのがテーマでやっているので、そこが(ファンに)伝わってれば何らかの結果は出て来るんじゃないかなとは思ってますね」と答えた。また番組のラストのナレーションでは、B'zが売れる理由を「取材を通じて見つけたのはあまりにもシンプルな答えだった。それは、愚直な努力をコツコツと積み重ねる2人の姿だった。」とした。

「ハリウッド・ロックウォーク」への殿堂入り 編集

2007年9月21日に結成20周年に突入したB'zが、ハリウッド・ロックウォークに殿堂入りとなった。

ハリウッド・ロックウォークはロックを芸術として、また、音楽を発展させるのに大きな貢献をしたミュージシャンを讃えるべく、1985年11月ハリウッドの中心に位置するギターセンター・ストアに設立された。エルヴィス・プレスリージョン・レノンら170組を超えるミュージシャンが殿堂入りしており、館内にはミュージシャンのサイン入りプレートや手形、ギターなどが展示されている。

B'zは176組目の受賞者となり、日本・アジア圏のミュージシャンで選ばれたのはB'zが初という快挙になる。主な選出理由は20年の長きに渡る活動、日本で一番のCDの総売上げ、米国でのライブツアーを成功させた実績、過去の受賞者スティーヴ・ヴァイの推挙などである。ヴァイは「B'zはとても才能があり、ロック・ウォークが彼らのような英語圏以外のアーティストに注目したのは素晴らしいこと。心からおめでとうと言いたい」と祝福した[29]。11月19日正午(現地時間)にハリウッド・ロックウォークで授賞式が一般公開で行われ、B'zの二人の手形が刻まれた。

主な記録 編集

オリコン 編集

(2011年現在、「シングル連続ミリオン獲得数」と「シングル通算ミリオン獲得数」は2013年12月現在)

シングル記録 編集

  • シングル総売上枚数:約3,544万枚(歴代1位)●★
  • シングル通算首位獲得数:45作(歴代1位)●★
  • シングル連続首位獲得数:45作(歴代1位・継続中)●
  • シングル連続初登場首位獲得数:45作(歴代1位・継続中)
  • シングル首位獲得週数:63週(歴代1位タイ)
  • シングル連続首位獲得年数:20年(歴代1位)●
  • シングル通算TOP10獲得数:46作(歴代3位)●
  • シングル連続TOP10獲得数:46作(歴代3位・継続中)●
  • シングル連続TOP10獲得年数:20年(歴代1位)●
  • シングル通算ミリオン獲得数:15作(歴代2位)●★
  • シングル連続ミリオン獲得数:13作(歴代2位)●
  • シングル連続ミリオン獲得年数:6年(歴代1位)●
  • 同一アーティストによる週間シングルTOP10内同時ランクイン数:9作(歴代1位)●
  • シングルの歴代1位記録、最多11冠達成(●で記した記録)[30]
    • 2009年8月11日に初めて達成。2013年12月現在は、「シングル通算TOP10獲得数」「シングル連続TOP10獲得数」「シングル通算ミリオン獲得数」「シングル連続ミリオン獲得数」の1位を他アーティストが記録しているため7冠である。

アルバム記録 編集

  • アルバム総売上枚数:約4,604万枚(歴代1位)★
    2007年度までの記録である4,200万枚という数字が「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」としてギネス・ワールド・レコーズ認定[31]
  • アルバム通算首位獲得数:23作(歴代1位)★
  • アルバム首位連続獲得年数:8年(1996年から2003年まで。歴代3位タイ)
  • アルバム通算ミリオン獲得数:19作(歴代1位)★
  • アルバム連続ミリオン獲得数:8作(歴代2位、歴代1位はZARDの9作)
  • アルバム初動ミリオン獲得数:10作(歴代1位)

映像作品記録 編集

  • 音楽映像作品による年間音楽ビデオチャート首位獲得数:8作(歴代1位)
VHS:5作、DVD:1作、Blu-ray Disc:2作)
  • 音楽映像作品による年間総合ビデオチャート首位獲得数:5作(歴代1位)
  • 音楽VHS作品売上本数:30.1万本(歴代3位)
  • 音楽DVD作品でのDVD総合ランキング首位獲得作品数:8作(歴代3位タイ)
  • 音楽DVD作品でのDVD総合ランキング首位連続獲得作品数:8作(歴代1位)
  • 音楽Blu-ray Disc作品年間ランキング首位獲得数:2作(歴代1位)

その他の記録 編集

(2013年3月現在)

  • アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):約8,034万枚(歴代1位)
  • シングル・アルバムのオリコン主要6部門を全て制覇(6冠/★で記した記録)[32]

日本レコード協会 編集

(2013年3月現在)

  • CD総出荷枚数:約1億枚(歴代1位)
  • CD総売上枚数:約8148万枚(歴代1位)
  • 認定ミリオンセラー数(出荷枚数):シングル20作・アルバム21作(歴代1位)
  • 認定シングルCD連続ミリオンセラー記録(出荷枚数):17作(歴代1位)
  • 認定アルバムCD連続ミリオンセラー記録(出荷枚数):10作(歴代1位)

その他 編集

  • 2000年2月22日ニッポン放送のラジオ番組『B'zの@llnightnippon.com』のインターネットライブで、同時アクセス数が14,600ストリームを記録し、日本記録を更新した[33]

受賞歴 編集

日本ゴールドディスク大賞 編集

日本有線大賞 編集

  • 1990年(第23回) 最多リクエスト歌手賞
  • 1991年(第24回) 最多リクエスト歌手賞

その他 編集

ディスコグラフィ 編集

詳細およびミニアルバム、ベストアルバム、映像作品、書籍などについては「B'zの作品」を

シングル
  1. だからその手を離して (1988年)
  2. 君の中で踊りたい (1989年)
  3. LADY-GO-ROUND (1990年)
  4. BE THERE (1990年)
  5. 太陽のKomachi Angel (1990年)
  6. Easy Come, Easy Go! (1990年)
  7. 愛しい人よGood Night... (1990年)
  8. LADY NAVIGATION (1991年)
  9. ALONE (1991年)
  10. BLOWIN' (1992年)
  11. ZERO (1992年)
  12. 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない (1993年)
  13. 裸足の女神 (1993年)
  14. Don't Leave Me (1994年)
  15. MOTEL (1994年)
  16. ねがい (1995年)
  17. love me, I love you (1995年)
  18. LOVE PHANTOM (1995年)
  19. ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE (1996年)
  20. Real Thing Shakes (1996年)
  21. FIREBALL (1997年)
  22. Calling (1997年)
  23. Liar! Liar! (1997年)
  24. さまよえる蒼い弾丸 (1998年)
  25. HOME (1998年)
  26. ギリギリchop (1999年)
  27. 今夜月の見える丘に (2000年)
  28. May (2000年)
  29. juice (2000年)
  30. RING (2000年)
  31. ultra soul (2001年)
  32. GOLD (2001年)
  33. 熱き鼓動の果て (2002年)
  34. IT'S SHOWTIME!! (2003年)
  35. 野性のENERGY (2003年)
  36. BANZAI (2004年)
  37. ARIGATO (2004年)
  38. 愛のバクダン (2005年)
  39. OCEAN (2005年)
  40. 衝動 (2006年)
  41. ゆるぎないものひとつ (2006年)
  42. SPLASH! (2006年)
  43. 永遠の翼 (2007年)
  44. SUPER LOVE SONG (2007年)
  45. BURN -フメツノフェイス- (2008年)
  46. イチブトゼンブ/DIVE (2009年)
  47. MY LONELY TOWN (2009年)
  48. さよなら傷だらけの日々よ (2011年)
  49. Don't Wanna Lie (2011年)
  50. GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-(2012年)

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オリジナルアルバム
  1. B'z (1988年)
  2. OFF THE LOCK (1989年)
  3. BREAK THROUGH (1990年)
  4. RISKY (1990年)
  5. IN THE LIFE (1991年)
  6. RUN (1992年)
  7. The 7th Blues (1994年)
  8. LOOSE (1995年)
  9. SURVIVE (1997年)
  10. Brotherhood (1999年)
  11. ELEVEN (2000年)
  12. GREEN (2002年)
  13. BIG MACHINE (2003年)
  14. THE CIRCLE (2005年)
  15. MONSTER (2006年)
  16. ACTION (2007年)
  17. MAGIC (2009年)
  18. C'mon (2011年)

出演 編集

CM

  • ペプシコーラ「ぺプシネックス」
    • エフェクト・荒野篇(2011年3月1日 - )
    • People篇(2011年7月16日 - )
    • Xmas Lover篇(2011年12月3日 - )
    • Tshirts Live篇(2012年2月28日 - )
    • Summer Line篇(2012年7月14日 - )

ラジオ

これまでに放送された特別番組

  • B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll" LIVE&DOCUMENT(2002年12月21日 The MUSIC 272
  • B'z 15周年特別番組 「IT'S SHOWTIME!! 〜とどけ!世界水泳バルセロナ2003〜」(2003年6月27日 テレビ朝日
  • B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA" LIVE&DOCUMENT(2003年12月23日 BSデジタル5局 開局3周年共同特別番組)
  • NHKスペシャル 「メガヒットの秘密 〜20年目のB'z〜」(2008年10月6日 NHK総合
  • RUN 〜B'z・20年の軌跡〜(2009年1月1日 NHK BS2
  • B'z 25th Anniversary Special 「Only Two」(2012年12月9日 WOWOW

関連人物・グループ 編集

国内編集

TM NETWORK
松本が彼らのサポートメンバーとして参加して以来、現在でも各メンバーと親交がある。B'zとして初ステージを踏んだのはTM NETWORKのライブイベントだった。リーダーの小室哲哉が邦楽で最も好きな男性ボーカリストとして稲葉を挙げている。
LOUDNESS
かつての事務所の先輩であり、互いのライブにも顔を出している[34][35]
稲葉は学生時代に「ICBM」というLOUDNESSのコピーバンドを組んでおり、影響を受けたヴォーカリストとして度々二井原実の名前を挙げている[36]
特にドラムの樋口宗孝とは交流が深く、一緒に飲みに行ったり、松本のソロアルバムのレコーディングにも度々参加していた。また、2008年12月に樋口が死去した際、限られた人物のみで行われた通夜TUBE浜田麻里等と共に訪れている[37]
TUBE
同じ事務所の所属であり、B'zよりデビューは早いが、彼らはB'zのファンだと公言しており、親交が深い。メンバーの前田亘輝のソロアルバム『Feel Me』では、稲葉は楽曲を2曲提供し、クレジットにはないが、松本はギターで参加していた。
FENCE OF DEFENSE
B'z初ステージのライブイベント『SF Rock StationファイナルイベントThank You TM NETWORK』で共演。メンバー全員が松本と共にTM NETWORKのサポートメンバーとして活動していた。松本をTM NETWORKに紹介したのはメンバーの北島健二
DIMENSION
キーボードの小野塚晃とサックスの勝田かず樹がB'zのレコーディングに参加。特に、小野塚はアルバム『RISKY』から近年まで多くのレコーディングに参加しており、B'zのレコーディングには欠かせない人物である。
生沢佑一
B'zの多くのレコーディングにコーラスで参加。
坪倉唯子
1990年のB'zのレコーディングにコーラスで参加。B'zは彼女に「GO-GO-GIRLS」を提供し、その後セルフカバーした。
坂井泉水(ZARD)
B'zと同じビーイングに所属し松本とはTAK MATSUMOTO featuring ZARDとして共同作品をリリースしている。またテレビ出演が7回と極めて少ないZARDだが、B'zとZARDが音楽番組で共演したことがある。
ZARD唯一の全国ライブ「What a beautiful moment Tour」にはB'zが2人で訪れ、この時のことを2005年に出演したオールナイトニッポンで語っている。
また、B'zやビーイングの許可なしに『Flash Back-B'z Early Special Titles-』が販売された際に、ビーイングはZARDのアルバム『ZARD BLEND 〜SUN&STONE〜』の発売日を『Flash Back-B'z Early Special Titles-』と同週に急遽変更して対抗し、オリコンでZARDが1位、B'zが2位となり非公認アルバムの首位獲得の阻止に協力した。
坂井泉水が急死した際には松本、稲葉がそれぞれ追悼のコメントを寄せた。
大黒摩季
1991年から1993年までB'zのレコーディングにコーラスで参加していた。
オルケスタ・デ・ラ・ルスBIG HORNS BEE
「DE LA LUZ HORN SECSSION」として、アルバム『The 7th Blues』のレコーディングに参加。以後、アルバム『LOOSE』や『Brotherhood』、『ELEVEN』のレコーディングにも一部のメンバーが参加している。
東京スカパラダイスオーケストラ
「SKA-PARA HORNS」として、シングル「Don't Leave Me」とアルバム『The 7th Blues』のレコーディングに参加。
池田大介
ストリングスが導入されている曲の編曲に数多く参加している。
上木彩矢
06年「ピエロ」をカバー。稲葉が彼女用に歌詞の一部を書き直す。

海外編集

スティーヴィー・サラス
ファンクロック系ギタリスト。B'zの初期の頃から交流がある。エリックマーティンとB'zの「ALONE」をカバーする。
マーティ・フリードマン
日本のロックで最初に衝撃を受けたのがシングル曲「Liar!Liar!」である。それ以降B'zファンで松本とは親交がある。
スティーヴ・ヴァイ
テクニカル系ギタリスト。自己のアルバム「ULTRA ZONE」の「ASIAN SKY」にB'zとして参加させている。B'zの2人も楽曲制作から参加できて楽しかったと語っている(「BE WITH vol70」参照)。
Mr.Big
アルバム『Brotherhood』にビリー・シーンパット・トーピーが参加。ビリーはその後サポートメンバーとして『B'z LIVE-GYM 2002 "GREEN </noinclude>〜GO★FIGHT★WIN〜"』にも参加。また、ボーカルのエリック・マーティンは、TMGに参加。
ブライアン・ティッシー
現在WHITESNAKEのドラマー。B'zのアルバム曲に頻繁に参加して叩いていた。のちにWHITESNAKEに加入する。
Aerosmith
2002 FIFAワールドカップ オフィシャルコンサートで共演。2013年8月8日にエアロソニックで共演。
チャド・スミス(Red Hot Chili Peppers)
09年のアルバム『MAGIC』の2曲目「DIVE」、5曲目「long time no see」、6曲目「イチブトゼンブ」のレコーディングに参加[38]
Linkin Park
2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて彼らが企画したプロジェクト「Download to Donate For Japan」にB'zも参加し、チャリティー・アルバム『Download to Donate: Tsunami Relief』へ「Home」を楽曲提供した。また、企画支援者のためのシークレット・ライブ『Music for Relief - Secret Show for Japan』にも出演した。
キム・ヒョンジュン
B'zのアルバムは殆ど所有し、自分のPCにはB'zの曲が全て入っているという。また、2012年7月4日に発売された、日本ソロ活動2ndシングル「HEAT」はB'zによる楽曲提供(作詞:稲葉浩志、作曲:松本孝弘、編曲:寺地秀行)。また、同楽曲には稲葉がコーラス、松本がギターで参加しているほか、レコーディング時にはB'zからキム・ヒョンジュンへの細かなアドバイスもあったという。

関連項目 編集

参考文献・出典 編集

本ページの参考文献は、以下の音楽雑誌やwebサイトがある。刊行時期を過ぎたものは閲覧が困難である。閲覧を希望する場合は国立国会図書館大宅壮一文庫古書店等を利用する必要がある。各出版社でバックナンバーの請求を受け付けている場合もあるので、外部リンクのリンク先もあわせて参照のこと。

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 佐伯明『B'z ウルトラクロニクル』ソニー・マガジンズ、2003年。ISBN 4-7897-2101-9
  2. 2.0 2.1 2.2 新型光「B'zはなぜこれほど売れるのか ちょっと真面目に考えてみたR25、2005年12月15日。(参照:2007年5月1日。)
  3. 『Go!Go!GUITAR』ヤマハミュージックメディア1987年
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 『B'z The Book Treasure』Rooms RECORDS、1998年。
  5. 『GB』1990年 ソニーマガジン社
  6. 6.0 6.1 『Be with! volume003』B'z PARTY、1989年。
  7. 『Be with! volume000』B'z PARTY、1988年。
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 『音楽のヒーローたち B'z伝説』汐文社、2002年。
  9. 9.0 9.1 9.2 佐伯明『B'z ミラクルクロニクル』ソニー・マガジン、2008年。ISBN 978-4-7897-3328-1
  10. 10.0 10.1 10.2 『Be with! volume075』B'z PARTY、2007年。
  11. オリコン週間アルバムチャート1988年10月3日付
  12. 平板読みは間違い!? 「B'z」の正しい呼び方って?」日刊サイゾー、2008年10月13日
  13. 1992年 MJ -MUSIC JOURNAL-出演時に、司会者の古舘伊知郎からの質問にて。
  14. 『B'z Break through + Bad communication』リットーミュージック、1992年。ISBN 4-8456-0631-3
  15. 15.0 15.1 15.2 小野里歩『新版B'zの素顔』スペース社、2000年。ISBN 4-8727-0124-0
  16. 16.0 16.1 僕らの音楽』(フジテレビ系列2005年3月26日放送回
  17. 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 『Only Two』(WOWOW)2012年12月9日放送
  18. 『Be with! volume001』B'z PARTY、1989年。
  19. 19.0 19.1 19.2 グループZERO『B'z HISTORY 2006』シーエイチシー、2006年。ISBN 4-86097-165-5
  20. 『Be with! volume078』B'z PARTY、2008年。
  21. 『TMN最後の嘘(トリック)』ソニー・マガジンズ 1994年
  22. 久保こーじ「久保こーじのBUZZ LEAGUE」2006年9月19日。(参照:2007年5月2日)
  23. マーティ・フリードマン『い〜じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-』日経BP社、2008年。ISBN 978-4-8222-6319-5
  24. 24.0 24.1 24.2 『NHKスペシャル』(NHK)2008年10月7日放送回「メガヒットの秘密 -20年目のB'z-」
  25. 『松本孝弘ソロ・プロジェクト〜B'zへの挑戦〜』(NHK BS-2)1999年8月28日放送
  26. 『別冊カドガワ B'z総力特集』角川書店、2003年ISBN 4-04-721503-1
  27. B'z Unreal Music『B'z TWELVE』祥伝社 2000年。ISBN 4-3966-1118-8
  28. 亀田誠治JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論 第4回 講義概要立命館大学、2006年10月21日。(参照:2007年5月1日。)
  29. 「B'zが米ロック殿堂入り!アジアのミュージシャンで初の快挙」 『サンケイスポーツ』2007年9月21日
  30. B'z“初の月9主題歌”で20年連続シングル首位獲得 最多11冠達成」ORICON STYLE、2009年08月11日
  31. クレイグ・グレンディ編集『ギネス世界記録2011』角川マーケティング、2010年。ISBN 978-4048954075
  32. B'z、オリコン主要6部門制覇の金字塔」ORICON STYLE、2007年12月11日
  33. インプレスが、ネットイベントに全面協力 日本新記録の同時アクセス数、14,600を記録!、インプレス、2000年2月25日。
  34. 『Be with! volume073』B'z PARTY、2007年。
  35. TOKYO FM「BEAT ZONE」1997年2月20日放送
  36. 『Be with! volume039』B'z PARTY、1998年。
  37. AIR BLANCA (影山ヒロノブOfficial Website) Blog」 2008年12月3日。(参照:2009年5月10日。)
  38. B'zが創りだす、さらなる“MAGIC”」『Yahoo! Music』2009年11月17日

外部リンク 編集


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